北大医学部軽音部創設秘話

vol.1

北大医学部軽音部設立秘話

初めまして!北大医学部100期、初期臨床研修医1年目の米澤大晟と申します。北大医学部軽音部は私が大学1年の時に創設した部活で最初は7名からスタートしたのですが、コロナ禍でほぼ活動出来ない期間もありながら現在はなんと約60名が所属する一大組織となっており、創設者ながら驚きを隠せません(笑)
ホームページ復活に際し部員投稿をお願いされたのですが、旧ホームページに載せていた文章(2020年3月に書いたもの)が奇跡的に発掘されたので当時の原文ママで以下に掲載させて頂きます。改めて読み返すといらない情報も山ほど盛り込まれていて大変冗長ですが、なんとなく設立当初の様子がお分かり頂けるのではないかと思いますので、歴史書だと思って飛ばし飛ばしでも目を通してみて頂けると幸いです。


初めまして、北海道大学医学部軽音部部長の米澤と申します。
今回はホームページの立ち上げにあたり部員が文章を書くページを作りたいからということで第1回目の文章を書くよう頼まれましたので、この部活の設立の経緯を、ちょっとした裏話など交えながら書かせてもらいたいと思います。


私は中1からスピッツのファンで、スピッツの曲を弾いてみたくてアコースティックギターをやっていました。中学には軽音楽部などはなく家で弾いているくらいだったのですが、高校に入ると一般音楽部という部活がありました。名前は違いますが要するに軽音部です。


ところが、当時の一般音楽部はとにかく音がデカいだけで上手くはない部活という印象で、友人と話し合いそれなら同じ音楽系のJAZZ研究部に入ろうという話になりJAZZ研究部に入部しました。


JAZZ研ではT-SQUAREというインスト(歌がない)バンドのコピーを主にやっていて(ジャズというよりジャズとロックの融合、フュージョンというジャンルですね)、ギターの先輩にALL ABOUT YOUという曲の楽譜をいきなり渡され、「これやって」と言われたのがT-SQUAREとの出会いでした。


1つ上の代の先輩がいなかったので、高2から引退まで私が部長をやっていたのですが、キャッチーかつ適度な難易度の曲が多いT-SQUAREのコピーはずっとやっていました。この頃の経験が、スピッツを始めとする邦ロックやJ-POPしか聴いていなかった私が、今でもちょっとした速弾きや申し訳程度のアドリブをやっていることに繋がっています。


一方、スピッツを歌ってみたいという思いもありました。ボーカルは恥ずかしいと思いながらも曲によってはボーカルも務めながら、スピッツやそれ以外の歌モノバンドのコピーも細々とやってはいました。


さらに、高校時代からオリジナル曲を書いていて、それもいつか人前で披露したいという思いもありました(作曲だけ担当した曲をライブハウスでリードギターとして披露したことは1回だけあったのですが)。


大学に入ったら歌モノバンドでスピッツ、そしてオリジナルをやりたい!!という思いを持ったまま、浪人時代に突入します。まあ長かったですね。体感が、ではなく、本当に長かったです(笑)


現役生時代からずっと北大医学部を目指していたので、浪人時代も、北大に入ったらどの音楽サークルに入ろうか、ということを考えてはいました。医学部生としては問題かもしれませんが私は大学に入ったらとにかく本気で音楽、特にオリジナル曲がやりたかったので、北大軽音というオリジナル曲メインでやっているサークルのホームページを見て入りたいと思っていました。


長すぎる浪人時代が遂に終焉を迎え念願の北大医学部の学生となった私は、サークル選びを始めました。新歓(新入生歓迎会)は全学(全学部共通)のサークルと医学部の部活のもの両方行きました。もちろん北大軽音の新歓にも行きました。しかし北大軽音のライブを観て、自分の音楽の趣味とは違う人が集まっているな、という印象を受けました。ライブを観るって大事ですね。そして一応行ったF研(北大フォークソング研究会)の新歓ライブに感動し、入部を決意します。


一方で北大医学部医学科入学者が避けて通れないのが医学部の部活の新歓です。合格者には各部活の紹介が載ったパンフレットが送られてくるのですが、その中に軽音部の存在はなく残念に思ったことを覚えています。文化部は数もあまり多くなく、活動もものすごく盛んというわけではありません。一方で運動部は凄まじいんです(笑)


医学科は全員入学してすぐのオリエンテーション後一か所に集められ、1人ずつ前に立って自己紹介をさせられます。その場にはほとんどの運動部から先輩方が来ていて、新入生の名簿に情報をメモしていきます。しかも謎の伝統があって、各部活の掛け声によって新入生の自己紹介は妨害されます(笑)女子生徒が名前を言うだけで、「女の子ならー!ソフトテニス部ー!」、入りたい部活を言うと他の部活から「早いぞ、早いぞ!」、ピアノをやっていたと言うとスキー部が「チャイコフ『スキー』!」、そして高校時代硬式テニスをやっていたなんて言おうものなら硬テが喜びの舞を舞い始めますから自己紹介どころじゃありません。


この長すぎる自己紹介がようやく終わると連絡先交換タイムが始まります。各部活の先輩方が自己紹介の内容から入部の可能性がありそうな新入生に片っ端から声をかけていきます。私は浪人時代が長かったのでその頃の友人や先輩が集まってきてくれたのはいいのですが、もちろんその分自己紹介でバンドの話をした私の元にも多くの運動部から勧誘がありました。


結果的に多くの部活の新歓に行き思ったのは、どこの部活も東医体(東日本医科学生総合体育大会)という大会に向けて全力で練習していること、サークル感覚で気楽にやっているところはほぼないということでした。一方で、医学部だけの部活という特殊な集団の形成によって得られるメリット、医学科内の縦横の繋がりというものには羨ましさを感じました。この頃から北大に医学部軽音部を作ろう、という思いを強くしていったように思います。実際複数の運動部の新歓で、「医学部軽音部を作ろうと思ってます」という話をしていました。今思えば「新歓は来てるけどここに入る気はない」って感じで迷惑な後輩ですね(笑)


私の入学する少し前に、医学部弓道部が立ち上がったと言う話は耳にしていました。その流れに乗って医軽音を作ろう、と決意した私が実際に動き出したのが1年生の7月です。


まずは医学科の同期LINEで部員を募集しました。それで集まったのが6人です。彼らを集めて展望を話し、とりあえず、医軽音設立前から毎年開催されている「北大医学部ロックフェス」(通称医ロック)というイベントへの出場を目標に活動することにしました。

医学科の公認の部活にしようと医学科教務に出向きましたが、まずは非公認で活動して実績を残し、来年の4月の申請期にまた来てくださいと言われました。実績・・・?


そして北大医学部軽音部記念すべき第1回目のイベントは、楽器体験会でした。初心者も多かったので、いろんな楽器に触れてみてほしいと思い音楽スタジオを借りて開催しました。


その後は医ロックに向けての練習に取りかかりました。運動部と兼部している人が多かったため、全員が集まれる日が全然なく早速大変な思いをしましたが、Mr.childrenのHANABI、秦基博の鱗(弾き語り)、10-feetの蜃気楼、back numberの高嶺の花子さんの4曲をなんとか演奏しました。バンドでは3曲しか間に合わなかったので1曲弾き語りを入れるという苦し紛れの手は使いましたが(笑)


2月3日のこのイベント終了後に3人が退部し、医軽音は4人(米澤、守口、古堂、猪部)のみとなります。それでも私は医軽音を続けていくつもりだったのでさらに新しい動きを始めました。まずは札幌医科大学のPOPS研究会(通称P研)との合同練習の計画です。私と同じ浪数で同じ年に札医に合格した浪人時代の友人Tさんに連絡し、P研で同学年のYさんと繋いでもらいました。Yさんは再受験生で多浪の私よりも遥かに年上でありながらフランクな良い人で、実は浪人時代1年間私と同じクラスだったという繋がりまでありました。私は一方的に認識していましたが話したことはなく、合同練習を計画することになって初めて話しましたが、Yさんも計画に大変協力的ですぐに仲良くなることが出来ました。これが2019年、私が2年生になる直前の3月1日のことです。


さらに私は、医軽音を北大医学部公認の部活動とするために再び行動を起こします。医学科教務に出向き設立に必要な書類や手続きについての情報を集めました。部活を公認にするなんていうのはやはり楽な仕事じゃありませんでした。先述の通り実績が必要、とのことで過去の実績なるものを書かねばなりませんでしたが、やったことといえば最初に部員を集めて展望を話した会と楽器体験会、医ロックとP研のYさんとの話し合いくらい。こんな少ない活動実績を、うすーく引き延ばして紙いっぱいに書きました。


もちろんそれだけじゃありません。公認の部活には「規約」なるものの作成が義務付けられているんです。飲酒や車による事故を防がなければなりませんから、それらについての規定が主です。これは他の部活のものを参考にして作成ください、とのことだったんですが他の部活の規約は自分の力で取ってこい、とのお達しでした。また浪人時代のツテを使って硬式テニスや軟式テニス、準硬式野球部といった複数の部活の友人や先輩に聞くも「規約作成に関わっていないからわからない」との返答でした。どうしたものかと途方に暮れていた時、アイスホッケー部の同期に聞いたところなんと規約を持っていてそれを参考に作成することが出来ました。ありがとうアイスホッケー部。


大きな仕事はもう1つありました。顧問探しです。これは悩みました。友人のお母様が北大医学部で教鞭をとっていらっしゃり、私もお話ししたことがあったのですが私が入学する前年に転勤となってしまい、それ以外には何もツテがありませんでした。ちょうどその頃講義の中でギターが弾けるとおっしゃっていた某教授に守口と共にお願いしに行ってみたのですが、他にも顧問をやっていてキャパオーバーなのでもしどうしても見つからなければもう一度来てくださいとのことでした。いよいよ当てがないと守口と話していたその頃、2年前期、解剖実習が週に8コマもある解剖三昧の時期でした。解剖実習終了後に実習室で守口と顧問について相談していたのですが、一旦ノリで近くにいた解剖学教室の山崎美和子准教授にいってみようということになりお願いしてみたところ、なんとあっさりとOKしてくださったんです(笑)山崎先生はご自身のことを「エア顧問」とおっしゃっていて、山崎先生を知らない後輩も多いのですが、ユニークでとっても面白い人なので是非一度部員と山崎先生でバーベキューとかジンギスカンパーティーとかしてみたいものです。


こうして全ての準備を整え医学科教務に申請しに行き、数日後の教務委員会会議にて無事正式に公認をいただきました。2019年5月のことです。


ここに書いていない細かい仕事も含めると、我ながら医軽音設立のためにかなりの仕事をしたように思います(笑)公認をもらいにいったことでものすごく仕事が増えましたが、なぜそこまでして公認をもらいにいったかということはよく聞かれます。もちろん、公認になれば公式のパンフレットに載せてもらえることなどは挙げられますが、それよりもやはりうちは大学から公認をもらってやっているれっきとした部活動なんだぞ!というプライドを持って活動出来るようになったのが何よりのメリットだと思っています(笑)


何の部活やってるの?と聞かれた時「医学部軽音部を作って・・・」と答えると「ってことは創設者ってこと!?」なんて驚かれることがありますが確かに入りたい部活がないから作ろうなんて発想はちょっと変わってる気もします。ただ、私の父が北大医学部の卒業生なのですが、在学当時「北大医学部マイクロコンピューター研究会」とかいうわけのわからんサークルを立ち上げて初代部長をやっていたらしく、やはり血は争えないのかもしれません。自分で作ってみてその大変さを知って「そりゃあ今まで誰も作らないよなぁ」なんて思いましたが、結果的には設立して良かったと心から思っています。ありがたいことに今や部員は約20名まで増えましたが、私が立ち上げた部活に集まってくるのは私のキャラクターに合った人達ばかり、大変居心地の良い部活で、自分で自分の家を作ったと思っているくらいです。


私は北大医学部軽音部をこれからももっともっと活動的で、多くの人にバンドの楽しさやカッコ良さを伝えられる立派な部活にしていきたいと思っています。新入生の皆さん、北大医学部でお待ちしています。

米澤大晟

2024/5/20